舞台恐怖症 ※ぼかしてはあるけどネタバレあり※

1950年製作 米 英
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演者:マレーネ・ディートリッヒ ジェーン・ワイマン リチャード・トッド

演劇女優志望のイヴは級友のジョナサンにスター、シャーロットの夫殺しの疑いがかかっていたところを助けてやる。イヴは事件の謎を解こうと単身、シャーロットのもとにメイドとして入り込むが…。



ムックの紹介記事に「映画空間内の演技者が演技するという二重構造を叙述トリックに用いた、反則スレスレのフーダニット作品である。詳細は観てのお楽しみということで触れないことにするが、まさかヒッチコックがこんなことを……、と驚かされること必定。」
 とまで書かれていたので、それはそれはと興味を持って観始めた。
 字幕なのでしばらく注視していて、ふと、少し粗筋を知っておこう、、、とか思って、ネットで検索して、最初にヒットしたページを開いてみた。ネタバレしそうなところは気をつけて見ないようにしよう、と思いながら。。。。。。。。。
 いきなり、そのページ、1行目がネタバレでやんの(TT)

 あ、でも、それでサプライズは無くされてしまったけれど、でもでも、この叙述トリックは、見事。もし、ネタバレしないで観られていたら幸福だった←根に持ってる。が、自分が悪いのである。
 これが途中に挿入された回想シーンなら、まだ疑いもできただろうが、まず「のっけ」の、つまりは物語の前提条件のようにして出てきたシーンだったので、当然の「真実」として受け取ってしまった。見事なミスディレクション!
 ヒロインの情愛の部分がなんとなく胸を打つ、ラブストーリーとしての側面もあるのかしらん。もっとも、これも一種のレッドへリング。
 ただ、真犯人がなぜこういうことをしたのかといえば。。。小説でもよくあることだけど、読者を騙すため以外には、あまり思いつけないというのが、弱点か。

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京極夏彦「ルー=ガルー 忌避すべき狼」

21世紀半ば。清潔で無機的な都市。仮想的な均一化した世界で、14~15歳の少女だけを狙った連続殺人事件が発生。リアルな"死"に少女たちは覚醒した。…闘いが始まった。読者からの応募による未来社会の設定を盛り込んだ画期的な双方向性インタラクティブ小説。

どうやら、京極夏彦式の「ライトノベル」なんだろう、、、くらいに読み始めた。随分と分厚いところは確かに京極夏彦だ、などと思いながら。
 そして確かにこれは、ライトノベルとしての「資質」を多分に持ち、実際ライトノベルの範疇に間違いないと思えるのだが(どんなに長大で重厚でもライトノベルはライトノベルであって、そしてこれは蔑称ではないのだ)、同時にライトノベルというにはあまりに孤高に過ぎる。おそらく他のどのライトノベルとも重なることは不可能なのだ。

 読みながら、この少女たちを見つめながら、なんだかスケバン刑事みたいだななどと思いもした。和田慎二の原作コミックではなく、南野陽子の、「三銃士」のような「スケバン刑事2」のヒロインたちの姿。
 少女たちパートの鮮鋭さに比べて、大人たちパートのなんと虚ろなことかとも思った。
 そして、それが次第に変容していく。京極夏彦の、必殺シリーズマニアの面目躍如として散りばめられた「人殺しの罪」についてのワードの数々、そして「意外」な真犯人の姿。あまりに「ありふれた」真相の姿。
 そして少女たちは突き進む。ガメラと共に――。
 「狼は絶滅した」。それを言うとき、少女の胸に去来するものはなんだったのか。

 ルガルーと言い、ウェアウルフと言う。それは人狼、狼男、狼憑きだ。呪われた物の怪。しかし、狼という生き物にロマンティズムを見る人々も多い。
 だから、狼は――
 狼少女はうそをつかない。

スタートレック・ヴォイジャー「伝説のキャプテン・カトー」

トゥヴォックやトレスが主役のエピソードは、私にとっては比較的面白く感じられにくいようだ。もともと彼らに対しては正直あまり魅力を感じていないのだ。それはチャコティについても、さほど違いはないのだが。

今回はトゥヴォックの物語だが、眼目は、タイトルにもある通り、旧スタートレックのクルーだったカトー(ズールー、あるいはスールー)が登場して来るところにある。
 とはいえ、たとえば新スタートレックでのマッコイやスポック、チャーリー(スコット)のように実際に現れたのとは少し違う。あくまでトゥヴォックの精神内でのビジョンなのだ。
 それでも、旧スタートレックからの濃いファンにとってはビッグ・サービスだったろう。私のように、カーク、スポック、マッコイあたりならともかく、他のクルーの印象はちょっと薄いよというヘナチョコ視聴者には、回想に程近い形での登場は今一つ感興の薄いものだったのだが。

 物語自体が、たとえば「新スタートレック」の「エンタープライズの面影」のように、ゲストで出て来た旧作キャラがその個性や能力を活かして活躍するというものなら、かなり楽しめただろう。だが、ここでのカトーは思い出でしかなかった。「エンタープライズの面影」の二番煎じを避けたかったのかもしれないが、別の面白さを産むには足りなかった。

 すでにヴォイジャーも終了し、最新シリーズ「エンタープライズ」も打ち切られた。果たして今後、スタートレックのキャラクターたちに再会する機会はあるのだろうか。そして、そのとき、その再会はどういう感興を……

必殺必中仕事屋稼業

「必殺仕掛人」で藤枝梅安を演じた緒形拳が、再び必殺で主役を演じた第2作目がこれ。「必殺仕置人」「助け人走る」「暗闇仕留人」と三本を挟んで再び緒形拳が現れたわけだが、当然の形として、そこには梅安とは全く違った別の殺し屋稼業の男が登場していた。
たいていの解説本では、緒形拳演じる知らぬ顔の半兵衛は、最初はただのド素人として登場していると書かれている。その素人だった半兵衛が、回を重ねるにつれて次第にプロの殺し屋となっていき、最終回において、元締めのおせいがただの「女(母)」となったのと逆転を見せる……と。

確かに、第1話においてのおせいの貫禄と、最終回での彼女の姿は、対比はできるかもしれない。
だが、一体半兵衛についてはどうだろうか。
半兵衛は、確かに殺しにおいてはまださほどの経験もなかったかもしれない。だが、第1話の時点ですでにおせいと堂々と渡り合っているのではないか? これがただのド素人か? 少なくとも、「仕事屋」が素人から玄人への成長(?)を描いたものとは、あまり感じられないようなのだが……

これまでの「仕掛人」から「仕留人」、或いはこれ以降の数々のシリーズと比べて、この「仕事屋」は最も真摯に、真面目に仕事に取り組んでいるように見える。いや、政吉のキャラクターなど、おちゃらけた部分はあるのだが、あまり余裕を持たず、真剣に、そんなふうに見えるのだ。それをして、「素人なので、アマチュアなので、余裕がなくて」と解説には書かれているようだが、その緊迫感は、しかし、玄人に変わっていったはずの後半においても持続し続けている。素人だからとか新米だからとか、そういう次元のこととは違ったのではないか?

「仕掛」「仕置」「助け」「仕留」。これまでグループに冠されたこれらとは違い、今作は「仕事」だ。まさしく、仕事……或る意味それでしかない、それでしかないからこその緊迫感だったように、個人的には感じている。

芦原すなお「ハート・オブ・スティール(雪のマズルカ)」

鋼の心を持つ女、探偵・里子の事件簿。雑誌『文芸ポスト』に掲載された「雪のマズルカ」「氷の炎」「アウト・オブ・ノーウェア」「ショウダウン」の4編を収録した、ネオ・ハードボイルドの世界。

 単行本では「ハート・オブ・スティール」のタイトル(鋼の心、だね)だったのが、文庫版では「雪のマズルカ」が表題になった。

 この作品集は、女性探偵の物語なのだが、最初の一編「雪のマズルカ」をアンソロジーで読んで面白かったので、一冊にまとまっているのを読んでみることにした。私はあまり女性探偵ものは読まない。男に媚びてなよなよしているか、逆に男に反発しているようなセリフを吐きながら男の悪いところばかり踏襲しているか、そんなものだと哀しくなってしまうから。もっとも、女性探偵ものにそんなものが多いのかどうかは、あまり読まないわけだから実は偉そうなことは言えない。ただ、最初からおびえていて読んでいない。
 アンソロジーでたまたま読んでいなければ、手にしなかったかもしれない。

 ミステリとしての出来のどうこうは言わない。あまりといえばあまりな遠藤警部の「見逃し」はそういう小説なのだと見て見ぬフリをする。綾辻行人・有栖川有栖の「安楽椅子探偵」にしても警察の大莫迦ぶりには大爆笑したのだから、お約束というものかもしれない。
 個人的には、最終編での主人公は「女」になってしまっていて残念だった。それまでの連作では男に媚びもせず、反発もせず、真似もせず、粋だったので。
 それでもやはり会話の妙とキャラの妙とユーモアは楽しかった。
 それにしても。
 なるほど、鉄アレイは健康にいい。

 

新・刑事コロンボ「殺意のナイト・クラブ」

まだ石田版吹替バージョンはないらしくて(銀河万丈版はあるらしい)、見たのは字幕版。おかげで「ながら見」はできなくて、しっかり画面を注視で見られたのだけれども……。

これは、ただの刑事ドラマでしょ? サプライズできる閃きや推理は、ここには、ない。
唯一、死体の隠し場所がコロンボの頭の見せ所なわけだけど、見ているこちらも「鯉の数とは全く関係なく」隠すならあそこかなと思えてしまう。

なにより。つまりは犯行が杜撰なので、別にコロンボが出て来るまでの「素晴らしい事件」ではないのだ、これは。
その意味では、紛れもなく新シリーズそのままであって、ミステリドラマではなくて刑事ドラマ、少なくとも私が求めた「刑事コロンボ」にはなっていなかったのだ、やはり……。

これからいつか、吹替バージョンが放映されたとしても、強いて見ようとはしないかもしれないなあ――。

ロングアゴー

三原順「はみだしっ子」のスピンオフ的な作品。主人公はロナルドとジャック。2人の少年時代の出会いからの時の流れと物語を描く。

 ジャック! ロナルド! ……というのが、初めて読みだした時の紛れもない心の声で。
 とはいえ、ぼんくらな私はすぐには反応できたわけでもなく、なんだか知ったような名前だなくらいで、「ああ!」と思うまでに暫くかかったように覚えている(笑)。
 そして、最初のうちは、「はみだしっ子」が終わったと思ったらスピンオフか、三原順はやはり「はみだしっ子」から離れられないのかな、などと感じたのも正直なところ。
 だが、それも最初だけだった。

 この「ロングアゴー」の三部作は、「はみだしっ子」とも違う、けれど紛れもない三原順の「少年ストーリー」であり、「はみだしっ子」を補完できながらも、独立した十全すぎる魅力を持った傑作に他ならなかった。
 ロナルドとジャックの友情、彼らそれぞれの真摯な生き方と行く末、三部作というコンパクトさで少年時代からの成長過程を綴ったドラマ性の完成度も高い。
 あまり小説にせよ他のメディアにせよ、夢で見たりすることはないのだが、この「ロングアゴー」については、思いきり夢の中でロナルドになりきり、「ジャアァーック!」と叫んで目を覚ました前科がある(笑)。つまりはそれほど感情移入、没入していたということなのだ。

 ロナルドは思う。ジャックはいつまで……と。
 もはや、はみだしっ子たちを迎え入れ、「つれて行って」を通過してからのジャックを知ることはできない。
けれど信じ続けることはできる。
 だから、信じながら、生きる糧にはできるだろう。
 そして……

ストリッパー殺人事件

猟奇的なストリッパー連続殺人事件の犯人を追う女性刑事の活躍を描く。監督は新人のカット・シー・ルーベン。出演はケイ・レンツ、グレッグ・エヴィガンほか。

文芸大作の対極、エロティック・サスペンスやピンク映画のようなジャンルにも、本格ミステリの魂が息づいていることがある。おすすめは『ストリッパー殺人事件』。踊り子が次々に殺され、婦人警官がストリッパーに扮して潜入捜査するという安い設定のサスペンスである。ストリップ→捜査→ストリップ→捜査→ストリップ……の繰り返しなのに、最後には超弩級のトリックが明かされる。ちゃんと伏線も張ってあり、かつ映像ならではの説得力があった。
と、「越境する本格ミステリ」に触れられていた作品。

てっきりミステリネタをぶち込んで作られたポルノ映画なんだろうと思ったら、ポルノ的部分は、ストリップのとこだけで、ヒロインが恋人と愛を交わすシーンも全然濃厚でない、ホントにちゃんとした(?)普通の映画だった。
 なかなか印象的なシーンもあったし、これで映画のかなりの時間を占めるストリップシーンをなくして、代わりにヒロインと恋人の交情や何やらを描けば、ミステリー・サスペンスとしてそんなに悪い映画ではないのでは?

 ヒロインは、なんとなく地上最強の美女バイオニック・ジェミーのリンゼイ・ワグナーっぽい感じで、つまりは下卑てなくて清潔な感じ(そんな彼女がストリップをやらかしてしまうのだから、うわーて感じだけど(^^;))、その恋人役も変な優男でも逆に野卑なタフガイでもなくて好感が持てたし。

 そして、ミステリとしての部分。正直言って、直前に観た「歓びの毒牙」よりも映像ならではのビックリトリックがよく効いてて、「うわっ」と思っちゃった。これはびっくり。決して珍しいネタではないのだけど、やっぱり映像でこうも思いきり見せられるとサプライズだなあ。

茅田砂胡「スカーレット・ウィザード」

奇妙な仕事が舞い込んだ。一年だけ結婚してくれ、だと? お相手はあのクーア財閥の女王だ。殺しても死なない男がご希望だとか。理由や事情は知らないが、宇宙きってのお尋ね者『海賊達の王(キング・オブ・パイレーツ)』向きの仕事じゃない。一匹狼の海賊の誇りをかけて、決着を宙(そら)でつけることになったが…かなり異色な宇宙恋愛物語(スペース・ラブ・ストーリー)。

全五巻と手頃?な巻数だったのに読むのにえらく時間がかかったのは、とにかく第1巻冒頭での視点の混雑、読みにくさが原因だった。女王と海賊の視点が交互に入り混じり、そしてしっかり分化されていないので、会話部分も含めて分かり難く、没入を妨げていた。
 2巻目からはそんなこともなくなり、だんだんストーリーにも入り込めていったが、女王ジャスミンに比べて海賊ケリーのキャラクターは少し薄かったかな? ケリーにしても、並のスペオペの主役としては十分だったのだが、女王のキャラ作りが破天荒だったかもしれない。

 よく書いたもんだと思ったのは、最終5巻に入ってから。スペオペかくあるべしみたいな感じで、よくまあここまで見事に筋が通ったもんだと感心。スペオペはあまり読んだ経験が無くて、キャプテン・フューチャーと高千穂遙の諸作くらいなんだけど、(あとはアニメのノベライズくらい)意外に楽しめたかな。
 女王の運命については、ダラダラ続かせない潔さが快い。ダラダラが多い世界だから(笑)。

スタートレック・ヴォイジャー「トゥーヴィックス」

SFならではのテーマというものがある。それを絵空事と言うのもたやすいが、人生全ても絵空事かもしれないし、案外その絵空事が重要なこともあるのだ。
 かつて旧スタートレックの「二人のカーク」で、ジェイムズ・T・カーク船長は2人に分裂し、片方のカークは元通りの1人に戻ることを自らの死として感じ、恐怖した。
 それから百年余り、ヴォイジャーのトゥヴォックとニーリクスは合体してトゥーヴィックスという新しい人格となってしまい、周囲の仲間たちは元の2人それぞれに戻ることを切望するが、トゥーヴィックスはそれを自分への殺害行為だと認識した。

 元の2人の記憶や性格を受け継ぎながらも、独立した新しい人格の「1人の人間」として、トゥーヴィックスは自分の生き続ける権利を訴える。ニーリクスにとっては恋人であり、トゥヴォックにとっては愛弟子であるケスに、トゥーヴィックスは言う。艦長に言ってくれ、私は生きていたいんだ……
 ケスにはつらすぎる問題だったのだ。

 そして、ジェインウェイは決断し、トゥーヴィックスを元の2人に戻そうとする。
 トゥーヴィックスは仲間たちに叫ぶ。
 「私は君達を恨みやしない……みんな私の友達だ。けれど、君達はこれから一生、私を殺した記憶を背負って生きていくんだぞ!」
 そして分離は成功し、トゥヴォックとニーリクスはやれやれ戻ったと喜ぶ……
 はたして、これは「殺人」だったのか? ただの治療だったのか?
 人格、個性、魂、そういうものが最も重要視されるものならば、いったい――。

 トゥーヴィックスの心はどこへ行ってしまっただろうか。

アガサ・クリスティ「ホロー荘の殺人」

アンカテル卿の午餐に招かれたポアロは、少なからず不快になった。邸のプールの端で一人の男が血を流し、傍らにピストルを手にした女が虚ろな表情で立っていたのだ。が、それは風変わりな歓迎の芝居でもゲームでもなく、本物の殺人事件だった!恋愛心理の奥底に踏み込みながら、ポアロは創造的な犯人に挑む。

特にすごいトリックがあるわけでも。。。特にすごい物語があるわけでも。。。特に。。。
特に何がというミステリではないのだけれど。。。

そして、初めてこれを読んだ頃の私は、ほとんどサプライズ・エンディング至上主義だったので、普通なら、このミステリについては、「特に気にかけるところ無し」のフォルダに入れて忘れてしまっているはずなのに。。。
なぜか、不思議と頭に残ってしまっていたのだった。。。

そして、今、読み返してみて、解説にもあるように、つまりはこれはクリスティの「普通小説」だったのだろうと。。。

29章最後のポアロのセリフがとても印象的だったので、最初、これで幕かなと思ったら、次の章があったので、これは蛇足じゃないかなどと思いながら読み進んだ。
そして。
ヘンリエッタの、クラブトリー婆さんへの言葉で、不覚にも泣けてしまいそうになったのは不思議なことで。。。

なぜなのか、分析してしまうのは、きっと意味がないことなのだろう。。。

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