わが細胞は三原順 その4

もし、もしも、たった1人──この世でたった1人、あるいはたった1つ、私が「これは出会っていてよかった」「出会わないでいたくなかった」コミック作家、コミック作品、があるとすれば、それは「この人」であり、「この人の作品」なのだ……という、そのコミック作家が三原順です。
 白泉社という出版社から、「花とゆめ」とか「LaLa」とかいう雑誌が出ていたはずであり、それらのある意味看板作家だったはずの女性です。
 その作品は、たとえば、出世作の「はみだしっ子」。そして、「ムーン・ライティング」。
 この「はみだしっ子」や「ムーン・ライティング」等についてなら、私は見栄も体裁も世間体も外聞もどこかへやってしまい、言い切ってしまうことができる。
 もしも、──もしも、「小説」と「マンガ」というジャンルを取っ払って判断した場合、一体この作品たち以上に、「文学だ!」と言える小説が、どれほどこの世に存在するだろうか……と。

 出世作の「はみだしっ子」について、少し話してみましょう。これは、4人の少年たちが主人公となった、長い長いお話です。最初はノベルズ版で出版され、十数冊にまとめられたと思います。現在では、分厚い文庫版で6冊にまとめられていますが、大事な番外編が1つ未収録であり、点睛を欠いています。

 舞台は、おそらくはアメリカ、もしくはイギリス。物語は、4人の主人公が「いかにして親を失い」「社会からの『はみだしっ子』となり」「そして……」という形で進んでいきます。大のオトナの男が、大まじめに、少女マンガについてこんなふうに語るのは、それを商売とするマンガ評論家でもない限り嘲笑されてしまいそうですが、この作品たちについてなら、私は「嘲笑う方が恥ずかしいのだ」と公言してしまうものです。
 なぜなら他のマンガ(=コミック)のことはよく知らないので、何一つ断言できないのですが、少なくともこの三原順の作品たちだけは、確実に作者が「本気で」──つまり、「面白い話」「感動的な話」を「作って」いるのではなくて、作者自身の徹底的な「人が生きること」への懐疑・憧憬・懊悩……がこもっている──「魂がある」と言い切れてしまうからです。

 第1話の「われらはみだしっ子」から「奴らの消えた夜」あたりまでは、いかにも昔風の少女マンガという絵柄であり、読みづらさもかなりありそうですが、次の「裏切者」以降、特に最終パート「つれて行って」の後半から、三原順の絵柄も大きく変わっていきます。
 それはさながら、旧来の「少女マンガ」の絵柄では、とてもその内包するテーマ(人が生きる)を語り尽くすことができない、とでも悟ったかのようです。後年の「ムーン・ライティング」の半ばからは、もうとても「マンガ」という軽いイメージの名称では言えそうにない(といって、決して「劇画」などというものでもない)画風にまで変わっていきます。
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